今年は124年ぶりの節分2月2日の23時45分に亡くなりました。
正式にはお医者さんが来た2月3日ですが。
90歳でした。祖母は老人ホームにも入らず、ボケもなく100歳までは生きるんじゃないかと何の根拠もなく思っていました。
話は変わって、前の記事で書いた高校の親友K。
彼は10年前に20歳で亡くなりました。
自らを社会不適合者と言い、自然淘汰という言葉を彼は教えてくれました。
そして、その通りに淘汰されてしまった。
弟さんから電話があり、突然階段で倒れて、病院に行こうにも面会謝絶。
その後は連絡も取れず、だいぶたってからお母さんから亡くなったと聞かされました。
彼も自分も友人は少なく、唯一連絡した形跡のあった自分に弟さんが電話をしたということだった。
彼が亡くなった時はとにかく寂しかった。
高校卒業後に交流が続いている唯一の親友を何で神は奪っていくんだ。
この時は神を恨んだだけで自分の生活を改めようとか全く思わなかった。
とにかく神が許せなかった。
そして今回祖母が亡くなって思ったこと。
もっと祖母を大切にすればよかったし、いろんな場所に連れて行けばよかった。
写真を一緒に撮ればよかった。
最後は感謝の言葉をかけることしかできない。
結局最後に残るのは祖母と思い出だけだった。
その後しばらくしてDIE WITH ZEROという本の要約動画でこんな言葉が出てきた。
「人生で一番大切な仕事は思い出づくり。
最後に残るのは結局それだけなのだから」
人生は経験の合計 今しかできないことに金を使おう
これは祖母が亡くなった時に自分が感じた事だった。
まさに自分の思っていた事を代弁しているかのような。
それ以後、自分がやりたいこと、行きたいところに行くようにしました。
お金のことを心配して極力使わないようにしていましたが、使うときは使うようにしました。
緊急事態宣言下でも北海道や大分に2カ月連続で旅行に行き、休みの日は交通安全ステッカー集めと御朱印を貰いに神社に出かけています。
またバイクの免許を取りバイクに乗りたいと思っています。
だからオリンピックを絶対開催して、客も入れてほしいと思っていました。
もう二度と日本でオリンピックをやると思えないから。
感染防止によって奪われる貴重な時間や思い出と感染して死ぬ僅かなリスク。
どちらを取るか、火を見るより明らかです。