人生の思い出づくり

損切り人生脱却を目指します

空港保安検査員

このブログの出発点は、日生学園に入り後悔した自分が当時感じたことを書いたのが始まりだった。

 今では16年という時を経て学校名も変わり、高校生クイズの2年連続の優勝校にまでなっている。

 このブログで書いたことも時代とともに変化し、消滅したのかもしれない。

 今では日生学園に入って後悔したとか、社会人になってみると本当にどうでもよくなってしまった。

 今回はそれ以上人生を無駄にしてしまった、保安検査委員時代のことを書いてみる。

 

入社まで

 20歳で高校を卒業し、やりたいこともないのにFラン大学に行くのも気がすすまなかったので、 高校を卒業後は1年制の公務員養成の専門学校に入学した。

 その頃は高校を留年した劣等感を日々感じていた。授業にもついていけず、友人はできずで無断欠席し図書館に入り浸るように。

 結局公務員試験は警察だけは一次試験突破しただけであとは全滅。公務員にはなれなかった。

 そんなとき専門学校に会社説明に来ていた家電量販店と警備会社の二つ内定のなかから営業のコミュ力がないと自覚があったので警備会社に就職した。

 空港での保安検査員という仕事だった。

 

 保安検査員時代

 

 保安検査員とは飛行機の搭乗前に行う機内に持ち込む荷物の検査、ボディーチェックを専門に行う仕事。

 巡回や常駐の警備とは違い、空港勤務でかっこよさそうとの単純な理由で保安検査員になった。

 新卒入社という事で東京と名古屋で研修を1週間行った後、それぞれの現場での研修という事になった。

 

 まず現場に来て最初に感じたことは、周りのみんな若い同世代の20から25歳が大半がだったこと。

 理由はすごく単純。離職率が高すぎるから。

 自分と同じこの現場で採用されたのは10人以上。

 離職者が大量に出るのを見越して毎年大量に一括で新卒採用(ほぼ高卒と専門卒)を行っている。若い新卒者の採用により人件費の削減を可能にする。

 給料が上がる(ほとんど上がらないけど)数年以内に退職してくれたほうが会社的にも助かるという訳。(退職金も勤続3年以上からでないともらえない)

 その為ベテランは少なく、その殆どが中途採用で。逆に前でよほどのブラック企業を経験した人間でない限り続けていくのは難しい。

 

 

勤務体制と待遇 

 基本の勤務が朝礼が6:30から現場に入るのが6:45。

 終わるのが18:30から20:30 まで。拘束時間が長いと14時間ほど。

 待機時間が長く、当然その時間は給料が発生しない。

 21時に帰ってきても次の日が速いので23時には寝るようにしていた。

 飯食べて、風呂入って寝るだけの生活。空港保安の国家試験の勉強時間は無い。 

 冬場には太陽の日を見ない日続きた。 

 当然朝早いので空港近くの寮で一人暮らし。なぜか年々寮費があがり10年目には寮を追い出される。

 

 休日は基本的に連休がない。

 休みの前日は午前中までの勤務。昔の土曜の学校さながら。

 3連休も5年間で1回。有給は病欠と仮病以外ではこの3連休の時の1回唯一だった。

 祝日休みの3連休やゴールデンウィーク、年末年始など大量の人で溢れ、仕事量も当然多くなる。手当なんてものも無く。毎度の世間での連休が憎くてしょうがなかった。 

 休みの日であってもシフトに穴ができた場合、出勤要請の電話がかかってくる。

 ここで出勤でもしようものなら15から18連勤なんて事もあった。 

 

 給料は言わずもが、入社時は手取りは15万以下はザラだった。

 基本給が低く、残業で稼がないと生活していかない。

 勤務の所定時間が設定されており、それを超えてからが残業となる。それ未満だとただでさえ少ない基本給が削られていく。

 若いみんなは残業を喜んで受けていた。

 

 

仕事内容

 この仕事の最大にして唯一の目的はハイジャックされないことにある。もし自分のミスで刃物を機内に持ち込まれてハイジャックが起こり、911のようにビルに突っ込んで大量の人が死んだら。保安検査員ならば一度は必ず考えることだ。人の命に直接関わってくる重圧に対する待遇がこれでは辞めないほうが異常だと思う。

 

 そして何より一番自分にはつらいと感じたのは「人に喜ばれない」仕事内容そのものだった。

 ボディーチェックやカバンの中身を調べられて喜ぶ人間がどこにいるというのだ。

 社会の必要悪。この言葉が実にうまくあてはまる。

 

 コミュ力が無いと感じ接客業をやりたくないからと家電量販店の内定を蹴って警備会社に就職したが、この保安検査員という仕事に関しては警備業というよりほぼ接客業にに近かった。

 クレームを受けないよう常に旅客に対し遜り、自分を下に、下にして対応を続けなければいけないのが苦痛でしかたなかった。

 日本ではお客様は神様だと思っている人間が少なからず確実に存在する。

 飛行機内にもっていけない物にいくら文句を言われても法律で決まっているのでどうしよもない。人を殺してはなぜいけないのか?と言っているのと変わらない。

 一度荷物を素手で触っただけで汚いと言わられ事がある。腹が立って思わずカバンを軽く放り投げ返した。後でクレームが会社に来て始末書を書かされた。後で分かったがクレームの主の職業はマナー講師との事。よく汚いなんて言えたものだ。

 自分は国内線を担当していたが、日本人とは逆に外国人は文句ひとつ言わない。むしろ丁寧に接客されて驚いているのだろう、検査には協力的だった。

 

 この仕事に達成感はゼロ。ハイジャックがないのが当たり前だから。

 

 当時読んでいた本でラッセルの幸福論という古典がある。

 仕事に関しての項目では、建設性がある仕事は心身ともにいいよ的なことが書かれていた。本を読んで納得した。これがきっかけにもなり転職を決意した。

 

 ではなぜここまで5年もかかってしまったか。

1 新卒では最低3年働かないと次がないとの思い込み。

2 同世代が多く人間関係も悪くなかった。

3 やりたいことが特に見つからなかった。

4 辞めた後、無職になるのが怖かった。

5 一人暮らしが楽しかった。

 

 人間関係では基本みんな会社に不満があり、辞めたいという共通認識ができあがっていて変な仲間意識みたいなものもあったと思う。傷を舐め合うとか、苦労を共にするみたいな。

 同期たちと飲み会や遊びに行ったこともあり、後輩たちとも一緒によく食事を食べに行ったりといい思い出もあった。

 

 辞めた後が心配は人それぞれ。

 同期で1年も持たずに辞めたのがいたが、沖縄にすぐに遊びに行ってそのまま生活していたのもいたし。

 当時自分は馬鹿にしていたけど今にして思えば羨ましい。今の自分なら原付で日本一周してみたいし。

 

 一人暮らしの解放感と自由さも気に入っていた。

 

 

 簡単なまとめ

1 拘束時間が長い。毎日5時起き。6:30から朝礼。帰りは遅いときで21時過ぎ。帰ってからの自由な時間は無い。

2 休みは月に多くて7日。基本6日。少ないときは5日。申請しない限り基本的に連休はない。多い時で15から18連勤ある。

3 基本給が安い。残業して、長時間労をしない限り生活できない。

4 仕事の内容は接客業に近い。達成感もなく、検査は人に喜ばれない。

 

 以上は自分が勤めていた5年以上前のこと。現在の話を聞くと状況はさらに悪化しているように見える。5年前までになかった早朝や深夜便なんかが開設。早朝便の検査は始発の電車にも間に合わないからタクシーで出勤していると聞く。

 コロナの影響で残業時間が稼げず、基本給減額で生活できているんだろか心配。

 

 

 最後に何かの間違えでこの記事を読んでくれた、保安検査員になろうか考えている人の参考になれば幸いです。